何をそんなに笑っているの?

イェンディヌ アッタラ チリッキュンヌ?
Enthinu atthara chirikkunnu?



イェンダ:何
ィヌ:に
アッタラ:そんなに
チリッキュンヌ:笑っています


連日夜10時まで残業の激務をこなしてるのに、常にニコニコ笑顔なSさん。目が合うとコロコロ笑う。何が可笑しいの?と聞くと、「チュンマ(別に)」と瞬き。可愛いなぁ。晩御飯は?と聞くと「ご飯を炊いてフリカケ」とあっさり。その食生活で、どこからそんなエネルギーが出てくるのでしょう???


今年もほぼ日手帳には素敵な一言が並んでいます。先週の何曜日か、こんなことが書いてありました。
才能とは、他人が疲れることを疲れずに続けられることである。
ほほう!!ならば私の才能は、
 ?他人の愚痴を聞く
 ?人前で無知を認める
 ?はったりで乗り切る
 ?インドに住む
かもしれません(笑)
人生に繋がる特技でありますように!

知識ないのに格好ばかり

Kathayariyaathe aattam nookuka
カタヤリヤーデ アーッタム ノークガ



カタ:話
アリヤーデ:知らないで
アーッタム:踊り
ノークガ:見る
直訳は、「話を理解せずに踊りを見る。」マラヤラム語の慣用句です。


インドは各地方毎に独特な踊りがあるのですが、基本的にどれもお寺に奉納されるもの的色合いがあってか、単なる舞ではなく神話等に基づくストーリーがあります。ただ踊り手自身は口を開かないので、そのストーリーはジェスチャーで説明されていく。手の形や体全身の動きで様々な動物や人、状態、感情等を表現する「型」があるのですが、それはまぁ一目で理解できるものではない。てな訳で、このジェスチャーも理解できず尚且つ神話も知らずな無知な状態でダンスを見ても、その本質はさっぱりな訳ですが、そんな状態を意味するのがこの慣用句。


この状況、実生活でもかなり出てくるはずです。
例えば会議。議題の項目に関し何ら理解はしていないけれど言葉の端を拾って発言。(おぉ辛辣な例なり!身に覚えありだわ!手厳しいねぇ!)


ケララ州の伝統演劇カタカリを私が見に行った時も、生徒たちに言われました。


えーっとケララに限らずこれはインド全般なんですが、何事をするにも敷居が高く、技術と知識を持たな者をはじく風習って、私個人的には受け入れ難いものがあります。歌を歌うなら上手い人が、踊るなら上手い人が、下手は引っこんでろ、な空気。結果、いつも演じ手と観客に分かれる。分業制かつ階級社会が確立してるからなんですかね?
話もジェスチャーも分からないけどカタカリ見たっていいじゃないですか。人それぞれの楽しみ方があるでしょう?話を理解することが全てじゃないでしょう?
なーんて、知識無い人間がぴーちくぱーちく言ったらなおのことあほにされるだけです。


ところでこの慣用句に当てはまることわざとか熟語、日本語で何だろう?




どうやら肋骨が折れてるみたいです…痴漢から無傷生還とはいかなかったね。

笑ってるよ

アンマーワネ ノーッキ チリッキュンヌ
Ammavane nokki chirikkunnu... :-)


Orkutで拾ってきた言葉。
アンマーワン おじいちゃん
ノーッキ   見て
チリッキュンヌ 笑っています
赤ちゃんの写真についてるコメント。おじいちゃんを見て微笑んでるよ。


それにしてもOrkutどどどっと赤ちゃん写真が増えました。
ついでこの年末生徒がまとめて4人ほど結婚。
インドって末広がりやわ。

自分を活かせる場

ムーキッラ ラージャットゥ ムリムーッカン ラージャーヴ
Muukkilla raajyaatthu murimuukkan raajaav


ムーック 鼻
イッラ 無い
ラージャットゥ 国で
ムリムーッカン 鼻が半分だけの人
ラージャ 王様
アーヴ なる


鼻がない人たちの国では、鼻が半分だけの人が王様になる


しっかり者のJさんを褒めたらご謙遜で口にした格言です。本当はもっと凄い人たちがいっぱいいるのに、たまたまこの環境では僕しかいないから凄く見えるのだ、と。


うーん、ケララ人。。。
知ってる限り、他の州の方々は確実に鼻の穴を広げて「そうでしょ、僕ってすごいでしょ」って笑顔になるのに、やっぱケララ人って違うよなぁ。。。遠慮や謙遜やお世辞を知り、社交辞令もいい、さっぱり本音が分からない人たち。同胞で固まるのが好きで、保守的。日本人ぽい。

行けー!

moncha2008-12-07

昨日はJリーグのシーズン最終試合ということもあって、三ツ沢競技場は人でいっぱい。キャプの山田さんをはじめ来季の契約更新がなされなかった選手達が横浜FCとしてプレーする最後のゲームで、ちょっといつもとは違った空気に包まれていました。


今年はよくサッカーを見た。昔からサッカーをするのは好きだったけど、観客するのも楽しいものだなぁと思い始めています。S曰く「monchaは試合よりも応援が気になって仕方ないみたいだけどね」とのことですが。うん、ゴール裏のサポーター面々見るのも大好きだ。「立てー!」「勝負しろー!」「下手くそー!」「審判どこ見てんだー!」うーん、熱くなれるって素敵だねぇ。


インドのスポーツと言えばクリケットカバディですが、ウェストベンガル州とケララ州ではサッカーも盛んです。トリバンドラム市のIT企業集合地域テクノパークでは年に1度企業対抗サッカー大会が開催され、その日のために急きょ寄せ集めで編成されたサッカーチームが、いつ間に発注してたのかお揃いのインドセンスなユニフォームを身にまとい、椰子に囲まれた土のグラウンドで走り回ります。…そのレベルなら私もまざれるのでは!!と思ったけど、選手の人たちはそれなりにスパイクを履いてたので敵わないし、かといって取り巻きの方々は裸足でパス練習とかしてたので、私は大人しく見学に徹しました。


ケララサッカーの応援文句はいたってシンプル。「カモンカモーン」の連続。マラヤラム語で何か言わんの?と聞くと、ちょっと悩んでから「ケール」を教えてくれました。これは直訳すると「乗れ」に当たるのですが、意訳するなら「行けー!」かな。因みに「行け」を直訳して「ポー!」も可能か?と尋ねたら、大笑い。マラヤラム語の「ポーグガ(行く)」は「人が話題になっている場から離れる」というニュアンスを持つので、敵のボールが外に出てほしいならまだしも味方がゴールを決めてほしい時には非常に不適切なのだそう。


昨日は試合の後にセレモニーがありました。敵チームのヴァンフォーレ甲府で以前プレーしてたタロウも契約が更新されないことに。そのタロウに向かって甲府のサポーター軍団が応援歌を歌ったのが、とても印象的でした。

女好き

ワヤノーッキ 
vaayanookki



nookkukaは「見る」。
なので多分vaayaが「女」とかいう意味なんじゃないかしら。
「女ばかり見てる人」みたいな?
推測です。手元のマラヤラム語辞書には見当たりませんでした。


ちょくちょくインドの子たちが連絡をくれます。
みんな日本語をおぼつかないなりに使ってくれていて、先生は嬉しいわ…
「今度日本への出張が決まりました!」という興奮混じりのメールは、
何とも素晴らしいもの。


ただ…たまには、欲しくないメッセージも受け取ります。
某Hさん、テクノパーク随一のワヤノーッキ且つ勘違い野郎。
「Hi monchaさん、来年アメリカ行くんだけど帰りがけに日本一週間寄ってくから!」


あなたは来なくていいから!!
私正直恐怖だから!!


本当に来たらどうしよう。
誰かインド英語分かる男友達に一緒行動して貰おう…


因みにHさん、アナタ半年程「離婚調停中」と言ってたけど、その件どうなったん?
やはり口から出まかせかい?