知識ないのに格好ばかり

Kathayariyaathe aattam nookuka
カタヤリヤーデ アーッタム ノークガ



カタ:話
アリヤーデ:知らないで
アーッタム:踊り
ノークガ:見る
直訳は、「話を理解せずに踊りを見る。」マラヤラム語の慣用句です。


インドは各地方毎に独特な踊りがあるのですが、基本的にどれもお寺に奉納されるもの的色合いがあってか、単なる舞ではなく神話等に基づくストーリーがあります。ただ踊り手自身は口を開かないので、そのストーリーはジェスチャーで説明されていく。手の形や体全身の動きで様々な動物や人、状態、感情等を表現する「型」があるのですが、それはまぁ一目で理解できるものではない。てな訳で、このジェスチャーも理解できず尚且つ神話も知らずな無知な状態でダンスを見ても、その本質はさっぱりな訳ですが、そんな状態を意味するのがこの慣用句。


この状況、実生活でもかなり出てくるはずです。
例えば会議。議題の項目に関し何ら理解はしていないけれど言葉の端を拾って発言。(おぉ辛辣な例なり!身に覚えありだわ!手厳しいねぇ!)


ケララ州の伝統演劇カタカリを私が見に行った時も、生徒たちに言われました。


えーっとケララに限らずこれはインド全般なんですが、何事をするにも敷居が高く、技術と知識を持たな者をはじく風習って、私個人的には受け入れ難いものがあります。歌を歌うなら上手い人が、踊るなら上手い人が、下手は引っこんでろ、な空気。結果、いつも演じ手と観客に分かれる。分業制かつ階級社会が確立してるからなんですかね?
話もジェスチャーも分からないけどカタカリ見たっていいじゃないですか。人それぞれの楽しみ方があるでしょう?話を理解することが全てじゃないでしょう?
なーんて、知識無い人間がぴーちくぱーちく言ったらなおのことあほにされるだけです。


ところでこの慣用句に当てはまることわざとか熟語、日本語で何だろう?




どうやら肋骨が折れてるみたいです…痴漢から無傷生還とはいかなかったね。