朝 昼 晩

朝 raavile
昼 uccha  
夜 raatri 


会話に耳を澄ましてるとよく「ucchakku」と聞こえて来るんですが、午後の予定を話してるんですね、きっと。


上代の日本語には「明す(あす)」という用言がありました。人工的な灯りが存在しない時代、人々の生活は自然の流れに委ねられていた。陽が出てから落ちるまでが活動時間。よって、陽が出るという現象が、時間を区切る重要な要素でした。それを表す語が、「明す」。空が白んで、陽が出ずること。


人々にとって、翌日とは、空が明るくなった時のこと。つまり、「明した」。過去形にせず、「空が明るくなったら」という意味で「明す」のままでも翌日を差すことができます。
また、朝とは、翌日と同じく、空が明るくなった時のこと。つまり、「明した」。現代では使用されませんが、「朝」を「あした」ととも言いますね。「朝」自体も「明さ」、つまり「明るくなった」ことを表す名詞形。


日本語で「あした」が「翌日」とも「朝」とも取れるように、スペイン語でmagnana(文字出ないので表記変えてますが)と言ったら、「翌日」と「朝」の両方の意味があります。因みに「夜が明ける」はamanecerで、a(…に)+mane(ラテン語で朝の意)+cer(なる)が語源。やはり、「朝」も「翌日」も「夜が明けている、明けた」瞬間を指す言葉のよう。


英語で「翌日」はtomorrow、「朝」はmorning。ひょっとしたら、tomorrowはto+morrowで「morrowになる」、morningはmorn+ingで「mornしている」、だとしたら、上代の英語にはmorという動詞が存在し、「夜が明ける」を意味してたかもしれません。


いや、狩猟民族で肉食なヨーロッパのこと、自然に左右されずもっと自発的な感覚で時間をコントロールしてたかも?だとしたらmornは「夜が明ける」に関連したような、「夜が明けたらするなんちゃらの行為(鳥が鳴くとか、朝ごはんを食べるとか、お祈りするとか、水を浴びるとか、知らんけど)」を表してたかもしれません。その場合「tomorrow」のフィーリングは「夜が明けて朝食用のミルクを温めているころ」だったりしたのかな。
でもって、eveningはeven+ingだから、even中なわけで、クリスマスイブのeveも前夜を表すことから「even」は何らかの前にする行為、そらまた御祈りとかなんですかなぁ。


なんて、一つの単語からどんどん脱線するから翻訳が進まないんですねぇ…どんだけ集中力欠けてるんでしょうねぇ…


以上、非常に対象言語学っぽいこと書いたけど全部出鱈目なので信じないでくださいね。