屋台

タットゥカダ


カダだけだと店という意味になります。


インドで好きな「お食事処」って、どんな所ですか?
私は、以下の順。
 ダントツの1位; 誰かの家
 次点; 庶民的食堂か超高級ホテルのレストラン
中間レベルのレストランは、好みません。味もサービスも空間も人も。


町生活の最低辺な食堂って、美味しいと思う。
丁寧とは言い難いけど、作っている人が嫌がっていない味がする。
そして、空間がほのぼのしている。
チャイ屋のおやじ。絶対に英語も分からない上にかなりの確率で内気。
そんな人だからビジネスを広げずにいつまでもチャイ屋をやってる。
はにかみ笑いが可愛らしいし、客に不快なことはしない。
居心地がいい。


だけど、現地の人から見たら、外国人の小奇麗な人をそんなところに連れ込むのは、かなり緊張するらしい。
「私たちはおいしいと思うけど、きっとmonchaさんは好きじゃないと思う。」
根拠もなく、そう言う。分かってないなぁ。。。


ケララは中途半端に生活水準が高いから、屋台も少ない。
てなわけでケララには行きつけがありませんでしたが、
私が最も好きなのはパニプリの屋台。
お皿を一枚渡されて、そこに次々と水ひたひたのパニプリが盛られていく。
殻がサクッとして、ジャルジーラがスカッとして、チャナが甘くて、
夕暮れ時の空の下、生き返る。


不衛生っぷりはばっちりですが。
この冬一度も風邪を引かなかった。どんだけ菌に強くなったんだ、私。

赤 ?
青 Nila
黄色 Manjnja
緑 Pachcha
黒 Karuththa
白 Vella


赤…は分かりません。ケララの赤米をChembarrais(チェンバライス)と言うので、多分Chembarとかだと思います。
緑…のパッチャは、若いとか青いとか純粋なという意味にもなる。野菜もパッチャ。


トリバンドラムの地名VellayambalamはVella(白い)+ambalam(寺)を合わせた言葉。付近に白い寺なんて見当たらないんだがー。
因みにpalliは教会の意。これも地名に多い。シンボルだからか支配権からか知らないけれど寺社が地名になる、日本もそうですよね。我が家の隣の地区名も広西寺です。


夢の中で、大規模な美術展へ行きました。近代的な高層ビルの地上数十階分を占有し、新鋭の芸術家たちが1人1部屋、自分の作品で空間を作り上げる。
強く印象に残る部屋があります。青い空間。散りばめられた銀。
題は覚えていない。素材は何だろう。ガラスをバーナーで溶かしつつ成形?


無意識の世界は面白い。
クラシックな具象に拘るけれど、紙と筆には無い質感に魅かれている、そんな気持ちが素直に如実化する。


春になったら画廊巡りでもしようかな。

朝 昼 晩

朝 raavile
昼 uccha  
夜 raatri 


会話に耳を澄ましてるとよく「ucchakku」と聞こえて来るんですが、午後の予定を話してるんですね、きっと。


上代の日本語には「明す(あす)」という用言がありました。人工的な灯りが存在しない時代、人々の生活は自然の流れに委ねられていた。陽が出てから落ちるまでが活動時間。よって、陽が出るという現象が、時間を区切る重要な要素でした。それを表す語が、「明す」。空が白んで、陽が出ずること。


人々にとって、翌日とは、空が明るくなった時のこと。つまり、「明した」。過去形にせず、「空が明るくなったら」という意味で「明す」のままでも翌日を差すことができます。
また、朝とは、翌日と同じく、空が明るくなった時のこと。つまり、「明した」。現代では使用されませんが、「朝」を「あした」ととも言いますね。「朝」自体も「明さ」、つまり「明るくなった」ことを表す名詞形。


日本語で「あした」が「翌日」とも「朝」とも取れるように、スペイン語でmagnana(文字出ないので表記変えてますが)と言ったら、「翌日」と「朝」の両方の意味があります。因みに「夜が明ける」はamanecerで、a(…に)+mane(ラテン語で朝の意)+cer(なる)が語源。やはり、「朝」も「翌日」も「夜が明けている、明けた」瞬間を指す言葉のよう。


英語で「翌日」はtomorrow、「朝」はmorning。ひょっとしたら、tomorrowはto+morrowで「morrowになる」、morningはmorn+ingで「mornしている」、だとしたら、上代の英語にはmorという動詞が存在し、「夜が明ける」を意味してたかもしれません。


いや、狩猟民族で肉食なヨーロッパのこと、自然に左右されずもっと自発的な感覚で時間をコントロールしてたかも?だとしたらmornは「夜が明ける」に関連したような、「夜が明けたらするなんちゃらの行為(鳥が鳴くとか、朝ごはんを食べるとか、お祈りするとか、水を浴びるとか、知らんけど)」を表してたかもしれません。その場合「tomorrow」のフィーリングは「夜が明けて朝食用のミルクを温めているころ」だったりしたのかな。
でもって、eveningはeven+ingだから、even中なわけで、クリスマスイブのeveも前夜を表すことから「even」は何らかの前にする行為、そらまた御祈りとかなんですかなぁ。


なんて、一つの単語からどんどん脱線するから翻訳が進まないんですねぇ…どんだけ集中力欠けてるんでしょうねぇ…


以上、非常に対象言語学っぽいこと書いたけど全部出鱈目なので信じないでくださいね。

そのまま

数か月、長いと数年もの期間、日本人顧客と接し続けるエンジニア達。
日本語が分からないなりに会話には耳を澄ましているようで、不思議〜な単語を覚えていたりします。


「とりあえず」
そんなに日々おざなりな会話がなされてるのかしら。


「画面」
まぁ確かに毎日見てるけど。


「手入力」
なかなか日々口にはしない言葉だけど。


「他関」
ていうか、多分非常にマニアックなチョイスだから。




「そのまま」もどうやら耳につく模様。
この仕様はそのままで、この部分を変更しましょう…とか。


会議が長引き、夜7;30。軽く夜食をつまんで帰りたい。そう言えばこの辺にモスってあるの?
「あぁ、駅の前の交差点を渡ってから、そのまま鉄橋をくぐってまっすぐ行くと右にあるよ。」


「ぉぉぉこの場合「そのまま」の意味はangane tanneですか!?」


あぁ、マラヤラム語ではそう言うんだ?


anganeは「あのような」「そのような」
tanneはひょっとしたら正しくはtanniかもしれませんが「単一に」
つまり、直訳すると「ただそのように」。


tanneはこれまた訳しにくい表現だと思う。
「たった今」は「ippol tanne」で、「まさにここで」は「ivide ttanne」な気がする。よくインド英語で「now only」とか「here only」と使われるのは、このドラビダ言語の母語干渉?この英語でonlyは「一人で」とか「ひとつだけ」という意味ではなく、単なる強調のためのオマケ。日本語で言うなら何ですか?ippol tanne vannuなら、「たった今来たばかり」とか「ばかり」を使うのが口語的に自然かな…と思ったりもします。


蛇足ですが、「自分自身で」というとき、tannataanと言います。タナタン。日本語タナタン勉強したよ、みたいな。可愛い響きですよね。

蛇と言えば

パーンブ


インドと言えば蛇使い!?
でも私インド5年でお目にかかったのはたったの一度だけです。
日本の某家電大手さん御一行様々のコチ市内観光に添乗した際、
サンフランシス教会の斜向かいに、小さな箱を地面に置くおじいさん。
見つめていたら、蛇を出した。
本当に蛇使いっているんだー!!!と感動する当時インド4年目の私。
反対に、何の興味も示さない日本人のお偉いさんたちは初インド旅行。
何故彼らは蛇使いを素通りしたんだろう?
緊張しすぎてて蛇に気付かなかったか?


コブラは上半身をもたげ、左右に頭を振る。
相手の隙を窺うように。
振子時計を逆さまにしたように。


酔っぱらいが、足元定まらないように。


はい、てな訳で、マラヤラム語で「蛇」とは酔っぱらいの意味。
お酒飲みすぎてふらふら〜?
なあなたは、ニー パンブ ヤーヌ。


誰が誰だか見分けの付かなかったころ、
酒の場できょとんとした顔のケララ人に向かって、「パーンブ?」と聞いた私。
その後、彼が自分のプロマネだと分かった頃、
別の宴会で、出来上がった私に、「ニー パーンブ ヤーノ?」と聞いてきた。
あー覚えちゃってた??
でもどうやらマイナス印象ではなかったようなので、ほっと一息です。

疲れた?

thalarnnaayirunno?
タラルンナーイルンノ?


…と、言われた気がします。会議中。


客先での会議続きの毎日。
どうやら会議が長引き6時7時を回ると私の通訳が雑になるらしいです。
「英語から日本語に訳さなくなるでしょ?何で?」
簡単な英語までいちいち日本語に直すのがアホらしくなって来るからです。
大概の日本人はその程度の英語ならわかるさ。。。


仕事が多いからと言って不満を言う人じゃないみたい。
会議いても、爽やかな疲れの日だってあります。
脳から麻酔が出てますか?
でも多少の無茶が利く自分の丈夫っぷりに、感謝です。

そういうこと?

アンゲネヤーノ?
angineyaanoo?



アンゲネ:そんな、そのような、そんな風な
アーヌ:です
オー?:か?
くっつけて、「そいういうことですか。」
へぇ知らんかった。それはびっくり、的なときの相槌?
単に「ふーんそっか。」ぐらいなら「アーノ?(そうですか)。」


日本人男性で「そういうこと?」って使う人居ますよね。全く話を聞いていないのに相槌打つためだけに発する一言。一見相手の意見を聞いた上で納得だか反論だかをしそうな便利な表現であるけど、文脈間違えると、あ、こいつ興味ゼロだなと一瞬で思う。某日系企業からやってきた某氏プライベート中の一言です。
そんな言葉、実は腐るほどあるのだけど、インド時代の私にとっては訪れる純日本人との会話が新鮮で、彼らの一言一言を敏感に分析していた。だからなおのこと、「そういうこと?」というインドで聞いた新生日本語が、忘れられないんだよね。


反面、生きた日本語として、えらく感動もしたものです。


あぁ寒いー霜焼けできたらどうしよう。